走ればわかるさ

アツシ

2023年6月20日 某病院にて。緊急入院して12日目の夜。 A医師「…以上が、今日出た病理検査の結果です。」 ある程度覚悟はしていたが、あためて病名を告げられると、まさかこの自分が…と絶望感でいっぱいになった。もう長くない?今後の生活はどうなる?残される家族はどうなるのか? 頭が混乱する中、医師に確認したいことが2つ浮かんだ。 アツシ「やはりそうでしたか、わかりました。それで、先生、2つ質問してよいですか?」 A医師「はい、どうぞ。」 アツシ「手術すれば、社会復帰できますか?」 A医師「はい、もちろん、できます。」 アツシ「わかりました。もうひとつ。マラソンもできるようになりますか?」 A医師「はい、できるようになります。そのために、これから我々はチームでアツシさんをしっかりサポートしていくんです。」 最後の言葉を聞いて涙が溢れた。まだ生きていける、家に帰れる、ランニング生活に戻れる。そして、何よりもこれだけのスタッフが自分の命を救おうとしている。この病としっかりと向き合おう、と強く思った。 この日のやりとりの後のことは記憶に乏しいのだが、自分の病室に戻る廊下で、嗚咽する自分の背中に看護師さんが手を当てて寄り添ってくれたことは、とても嬉しかったし今も忘れない。 退院後、職場に戻り仕事を続けながら2ヶ月の投薬治療を行なった。この間、江戸一の練習会や勧誘チームの業務はお休みをもらった。 予定どおり9月1日に再入院、9月4日に手術を受けた。手術はとても複雑かつタフなもので、予定よりも4時間ほど長くかかった。執刀した医師やスタッフも、待っていた家族も、疲労感でいっぱいだったようだ。手術が無事に終わり安心したのもつかの間、思いのほか術後のダメージは大きく、全身の痛みとの戦いが1待っていた。自分の体のあちこちから伸びている多くのドレーンチューブを見ながら、本当に元の生活に戻れるのだろうか?と心配と不安でいっぱいになった。 とにかく痛みがひどく、最初はベッドから立ち上がるのも一人ではできず、立ち上がっても5m歩くのが限界であった。その痛みと戦いながら少しずつ歩く距離が伸びていき、日を追ってドレーンチューブも1本、2本と外され、自身の回復具合を実感することができた。また、LINEなどでの友人や同僚、江戸一のメンバーからのメッセージは大きな励みであった。その後も体操やストレッチなどのリハビリにも取り組み、当初計画どおりの日程で退院となった。 しかし、体のあちこちにある不具合は残ったまま、思っていたようには調子が戻らず、退院後1ヶ月以上の自宅療養を強いられることになった。 これだけ長い間仕事を休んだこともなかったことから、ポツンと社会から置いてきぼりになっているように感じ、何とかしたいと焦りが出るようになった。ふと、いま走れる距離がわかれば体力の戻りが定量化できて、職場復帰時期の予測も立てられるのでは?と思いつき、10月下旬、体調がよい日に恐る恐るジョギングを再開した。実に5ヶ月ぶりのジョギングであった。 ジョギングを再開した日は、ゆっくり走ってもすぐに息があがり300mまでが精一杯だった。こんなに体が重いとは、生まれて初めての経験であった。両足におもりをつけているような感触。でもこれが現実であり、走ってみれば自分の体力、体調が分かるのだと痛感する。 その後もめげずに体調が良い日を選びジョギングを敢行し、2週間の間に1kmまで距離を伸ばせた。不思議なもので、この1km完走のあとは比較的順調で、面白いように距離が伸びるようになり、人間の回復力ってすげーなーと感心する余裕もできた。 5km完走できるようになったところで主治医と相談し、そこまで回復しているのなら、と、職場への復職可能との診断書をもらった。走れるようになったのですか?と主治医も驚いていた様子であった。11月14日に職場復帰となった。職場の同僚にも、5km走れるようになったことに、とてもびっくりされ、嬉しく感じた。 12月24日、目標としていた10kmを完走。家族友人には無理するな、と言われ続けてはいたが、ちょっと背伸びして目標達成できたことは大きな自信になった。9月の手術後は5m歩くのがやっとで、そこから自身の回復を信じて、諦めずに何とかリハビリやトレーニングに取り組んだ自分を褒めてあげたかった。 2年が明けて1月3日、江戸一毎年恒例の山手線一周ランに最後の9kmのみ参加した。江戸一メンバーと久々に会えてとても大きな喜びとなった。沿道で箱根駅伝を応援したり、街中を走ったり、メンバーと一緒にいた時間はよい思い出となった。その4日後1月7日の練習会にも参加し亀戸への初詣ランへ。本格的に江戸一の活動に戻ることができたことを実感している。でも治療は継続中で、全快にはまだまだ時間がかかりそうだが、自分の体と相談しながらのランニングやトレーニングはとても楽しい。 この8ヶ月ほどのあいだ、幾度となく絶望感に苛まれながも何とか自分らしさを保ってこられたのは、江戸一でのランニング生活や繋がりがあって、そこに復帰する気持ちが強かったからだと自己分析する。大した記録は持っていないし、ストイックに自分を追い込むタイプでもなく、むしろサボっていると揶揄されることもあり大変おこがましいのだが、どうしてもランニング生活に戻りたかったのである。今後も江戸一のなかでメンバーのみなさんから刺激を受けながら、また一緒に汗をかきながら、ランニング生活を楽しんでいきたい。 今更ながら、ランニングするとわかることが多くあるよね、と思う。いつもの道であっても、全く同じラップやステップで走ることはできないし、その日の天候や季節、自身の状態によって感じ方や結果が違う。走るたびに新たな気づきもある。 そんなことを考えていたら、アントニオ猪木さんが残した「道」を思い出した。それをアレンジして自分に言い聞かせたい。気が乗らないときでも、走れるようになると信じて。 

2024/5/14